No.4 譲り葉の朝
バタン、と重いドアの音が響いて、我が家の第一陣が出発する。
共働きの妻が早朝から戦場のように仕込んだ、昼と夜の弁当の残り香。
妻の車に文字通り「放り込まれて」いった小学生の息子の、まだ眠そうな気配だけが玄関に残っている。
静まり返った二階の寝室から、トントンと階段を下りる。
途中で娘の部屋のドアをノックして、「そろそろだよ」と声をかけるのが、私の朝の最初の仕事だ。
一階のLDKに足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んでくるのは、嵐のあとのようなキッチン。
山積みのフライパン、飛び散った水滴、容赦のない生ごみの気配。
「……はぁ」
こぼれ落ちたため息をかき消すように、キッチンの隅にある古いラジオのつまみを回す。
流れてくる誰かの声や音楽を、新聞の文字を追う代わりに、ただ右から左へと聞き流す。
冷たい水に手を浸し、黙々と皿を洗う。この静寂だけが、今の私に許された時間だ。
ひと通りの片付けを終え、洗面台に向かう。
鏡に映る冴えない顔にシェービングフォームを乗せ、カミソリをあてる。
お湯で一気に泡を洗い流そうと、両手で水をすくって顔をうずめた、その瞬間だった。
「パパ、かわって」
背後から、遠慮のない声。
次の瞬間には、私の大きな身体がドン、と横に弾き飛ばされていた。
……いや、待ってくれ。
こっちは今、まさに顔がずぶ濡れで、視界がゼロの状態で、なんなら耳の後ろまで水が滴っている真っ最中なんだけど!
猛烈な反論が喉まで出かかったけれど、鏡の前で既にヘアアイロンを温め始めている娘の背中を見て、私は言葉を飲み込んだ。
時計の針は、無情にも進んでいる。ここで10代の娘と朝の貴重な時間を潰すわけにはいかない。
濡れた顔をタオルのなかに押し込みながら、私はすごすごと戦場をあけ渡す。
ついこの間まで、「パパ、お顔洗って」って甘えていたはずの小さな背中は、いつの間にかずいぶんと大きくなっていた。
理不尽を怒るエネルギーを、そっと静かな家事の残りに切り替える。
大人になるって、きっと、こういうことだ。
誰かに場所を譲りながら、ちょっとだけ、小さく笑えるようになること。
足元で、ラジオから流れる軽快な音楽が、私の濡れたローファーの音と重なるように響いていた。
No.5 レジ前の絶望と、現代の参勤交代
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