No.13 家族旅行記 幻の肉まんと、手に入れたもの
娘の「帰りたい」の一言で、猛暑の人工芝から救出された私たち。
……しかし、ホッとしたのも束の間、最後の怒涛の試練が待ち受けていた。
◇
本当は、新大阪発17時の新幹線でゆったり帰る予定だったのだ。
妻が事前に指定席を予約し、クレジットカードで決済も済ませてある。
だが、我が家の頂点に立つ娘の「疲れたから今すぐ帰る」という気だるげな宣言により、急遽スケジュールを前倒しして帰宅することになった。
時短帰宅の代償は大きい。
「事前に払った指定席券を捨て、自由席で帰る」ということだ。
2時間ゆったり座って帰れるはずだった平和な旅が、一瞬にして「お金を払って長時間立ちっぱなしに耐えるガマン大会」へと変貌した。
◇
新大阪駅へ到着し、新山口へ止まる新幹線を必死に探す。
ない。止まらない。いや、極端に本数が少ないのだ。
「あった! 何時だ!?」
「15時10分!」
「今、何時だ!?」
「15時!!」
あと10分しかない。
自由席だ、すぐにホームへ並ばないと座れない!
◇
思い返せば、大阪から新大阪へ乗り換える時、娘がダラダラと歩いたせいで目の前で発車してしまった快速電車が悔やまれる。
さらに、構内アナウンスが虚しく響く。
『ただいま、ダイヤが大幅に乱れております――』
悪い時には悪いことが重なるものだ。
結局、我が家の旅行の「裏のメイン目的地」であった【551の肉まん】を買う時間など、微塵もなかった。
◇
数少ない「新山口に止まる新幹線」が、滑り込むようにホームへ突入してくる。
ふと後ろを振り返ると、自由席の列は恐ろしいほどの大行列になっていた。
激しい争奪戦の末――奇跡的に、家族全員がバラバラではあるが座席を確保することができた。
さっきまで熱風の吹き荒れる人工芝の上で、ただただ汗を流していたのだ。
少し硬いシートではあるけれど、座れること。そして冷房がキンキンに効いた空間にいられること。
ただただ、それだけのことなのに心から感謝した。
◇
新幹線が静かに走り出す。
車窓の風景を眺めながら、私はこの二日間の旅を振り返っていた。
「古都の風情と伝統文化に触れる、落ち着いた侘び寂びの旅」
そんな格調高いテーマを掲げて山口を出発したはずだった。
しかし蓋を開けてみれば、神社仏閣の拝観料によるお小遣い直撃、外国人観光客と鹿のフンの大群、スタバでの呪文のような注文、カラコン紛失騒動、買い物ツアーでの置き去り、そして猛暑の人工芝での避難民生活……。
結局、この旅で「侘び寂び」はカケラも得られなかった。
得られたものといえば、私の財布の劇的なダイエット成功くらいのものだ。
楽しみにしていた551の肉まんは、心の中の思い出として味わうことになった。
客観的に見れば、何の成果もなかった旅かもしれない。
けれど、新幹線のシートで隣に座る息子の寝顔を見ながら、私はふと満足気なため息をついた。
普段は反抗期で気まずい息子が、困り果てた父親を気遣ってメニューを選んでくれたこと。
女子チームの我がままに振り回されながら、男同士で肩を並べて耐え抜いたこと。
思い通りにいかないハプニングの連続に、家族みんなで汗をかき、困り顔をし、最後には疲れ果てて同じ冷房に感謝したこと。
「……まあ、悪くない旅だったな」
新山口駅へ向かう揺れの中で、私はそっと目を閉じた。
手に入らなかった「侘び寂び」の代わりに、私の手元には、泥臭くも温かい「家族の思い出」が、ズシリと重く残っていた。
― 家族旅行記・完 ―